プール(2025)とは

2018年に始まり2019年コロナをきっかけに停止していた、主に脚本、戯曲を書く林(※林って誰、参照されたし)による演技の実験場、勉強場の再開。

こちらを休んでいる間にもずっと脚本や劇作はしておりました。2025春には老舗の劇団の皆さんによる自分の戯曲舞台化も叶いました。自分が書いたものを演出してもらうという貴重な機会でした。そして、やっぱり、自分で書いたものはまずは自分で演出する覚悟でいなければならないな、と思いました。

そして中断しているこの5年間の間で最も変わったのはAIの存在です。もう、とんでもない進化のスピードね。

また再開したないな、と色々考えいてる所、声をかけてくれる方がいらっしゃいました。すごい縁だな、と思います。

とにかく、芝居を書く人間として伝えたい事が一杯あります。動いてみようと思います。

2025年9月9日 林

林って誰

 1978年生まれ。大学卒業後、テレビ番組、旅番組、情報番組のディレクレターに。自称代表作は、無口なヤツメウナギ漁師に無理を言って家の空き地で鍋をしてもらった結果、山からタヌキが顔を出したテレビ東京『土曜スペシャル』「冬のみちのく 鍋三昧の旅」秋田編。退社後、オリジナル脚本映画化を目標に、まずはデビューと焦り焦らされ、原作ありの長編映画脚本、映画企画、WOWOWドラマ、原作なしのVシネマなど、ありがたい事に様々な仕事をいただき4年程仕事するが色々な意味の実力不足でことごとく裏方止まりで映像脚本家としてデビューし損ねる。フリーで映像の仕事(芸能事務所依頼の役者プロモーション用ショートムービー、芸能事務所所属、役者からの依頼でのファンミーティング用ショートムービー、商用映画メイキング)などしながら脚本制作、自主映画制作、脚本を書く視点からの演技の勉強会開催。2008年『ブラジャーや小麦粉』城戸賞準入賞。2024年エコラボ創作戯曲募集入選、2025年3月『お椀とお箸』舞台化。

POOL a面て何(2019)

2019年から始めた役者志望の方の実験場。

a面は元々の仕事のつながりから始めましたがこちらはインターネットから不特定多数に趣旨を説明して集まってもらいました。演劇をされている方もいました。

実験場を1年、演出と役者の理想的な関係について考え方が変わりました。(変わらなきゃ変)

実験場の実験場が始まる前の演出と役者についての考え方(→是非「b面って何」を読んでからこちらを読み進めて下さい)は少し一方的だ。演出は勇気づけ、助ける人。

社交ダンスに例えるならば

ダンスを踊るのが役者で、演出はフロアの枠の外から応援するものだと思っていた。

でも、もっといいダンスが見たいなら演出も中に入らなければならなかった。

例えば、ダンサー女が役者で、ダンサー男が演出。

1年前の私なら前出すぎじゃね?と思っていたと思う。

これはb面に少し遅れて参加しはじめてくれた役者さんが教えくれた。(たった2回目で)

彼女が創造的に動くと、こちらにふわふわと新たなアイデアが浮かぶ。

他の役者さんでは一度もなかった事だった。(6回参加の人でも)あったのかもしれないがほんのわずかで、その重要性が分かっていなかった。

それで、私の力不足も良くわかった。

私は他の3人を押す力が足りない。

彼女に力があったので私の弱い力で進んでいってくれたのだ。

こうなると私にもまだ何かできる気がする!と思えた。

私はこの経験をするまでずっと感じていた事があった。

演技の創造的な解釈については少なからず伝えられていると思っているし

少なくとも4時間の間は真面目に頑張ってくれてる。

「現場でも役にたってます、」て嬉しい事も言ってくれる。

(一番サイコーは「自由になれる気がする」って言ってくれた感想だった)

道半ばにそういう感想があるのはうれしい。

しかし。創造性、という点から見て。

どうして皆こんなに不自由なんだろう。

それに対し、なんて自分は無力なんだ。

もうできる事はないのか。

この実験場で

ダイアンキートンとか亡くなってしまったヒースレジャーみたいなすごい人が演技をしてくれたら、小物の私が10000時間話すより、彼らはすぐに本当の自由になれるかもしれない。

(もしくは、もうこりゃ自分には無理だから辞めよう、って思うかもしれないけれど。それはそれで大収穫じゃないか)

現時点ではその女優さんが創造性において特別なのか

他の三人もきっかけが見つかれば変化が起きるのか、その手伝いを私にできるのか検討がついてない。

とにかく、今、理想の方向が見えてきて

その先の景色を見たいが為に地味にあがいている。

そこにたどり着けるか、

たどり着けないとわかるのか、

そのどちらかまで続けるつもりの主催者です。

林 2019年3月15日

追記コロナなど様々な私の都合で停止。

POOL b面って何(2018)

2018年4月から始まった演技の実験場のためのプロの役者さんばかりの実験場。

最終的には演技を仕事にする役者4人、4時間×8回実施。

生の人間の視覚作品を作る事を、生の人間が水場を渡っていく事と仮定すると。

「水場」は作家が頭の中で創ったスタートとゴールのある大地にある水たまり。

道路の水たまりから、幼児プール、飛び込み用、荒波の極寒の真っ暗な北極の海…大変だなあ。

「渡る人」は演技する人。

歩く、犬かき、バタフライ、それに道具を身につけたら、フィン、ゴーグル。

入水は命がけ。まず、服を脱がなければ、一瞬で溺れる。

相当な覚悟が必要。

この過酷さを知りながらこの職業を自ら選ぶんだから本当に役者って皆さんはたぶんちょっと変わってて。

そして尊い。

じゃ、演出家は? 考えてみる。

作家の世界を正しく把握、作家の思想を伝える為に最も魅力的、現実的コースを現場に組む。

渡る人をゴールまで導く。

色々仕事はあるけど、特に渡る人との関係で考えてみる。

フカンできる場所から渡る人の現在地を教える。ゴールの方向を常に指し示す。

修正が必要な時は、フォームを確認するための鏡になる。

エネルギー源を渡す。溺れた時は浮き輪を投げる。

必要であれば状況と特性に合わせて道具を渡す。シュノーケルを。フィンを。

(でも使いこなせない人にフィンを渡したら余計邪魔)

とにかく、勇気づけ続ける人。

見ている人が何も感じない演技というのは役者がイカダや大型船、潜水艦(!)なんぞに乗ったり、近くの陸を歩いて、渡るのを装ったりしている傾向があるかと思う。

(あ……サーフィンに乗ってる人がいたらそれはそれで面白そうだな。)

服を来て、水に浸かってさえいない。だから恥ずかしくないし、決して傷つかない。

(あ……でもたまに丘で素っ裸の人もいるんだよなあ。お客さんが置いて行かれる感じの)

作品はぐんと魅力を失って、当然、役者が輝く事もなくなって。

とにかく表現は無限でオリジナルだけど、みんなが心打たれる表現には条件がある。

渡る人はすくなくとも自分が何をしているか自覚している。

現場にお金がなく、結果、時間もない時、現場全体が役者にそんなズルを許可する、または要求する?

演出家が不勉強で無関心で役者がどういう状況か見えてない、指摘できない?

あるいは役者自身が不勉強で、自身がどういう状況かもわからない?

とにかく、そんなつまらない事のないよう、

「プール」という練習場を設けたいと思いました。

演技する人と演出する人の実験と練習の場、という意味で「プール」。

渡る人と導く人の相互作用の練習と実験の場。

渡る人はあらゆる渡り方を失敗を恐れずに研究、練習できるよう。

自身の弱みを知ってそれを乗り越える具体的な方法を見つけられるよう。

自身の強みを知ってもっと輝かせる具体的な方法を見つけられるよう。

私自身の話は別のページに詳しく書きますが、私も練習が必要で

「プール」を運用する事自体が訓練です。

導く人は安心して実験、溺れてもいいと思える場所を作る。

渡る人を助けるあらゆる手段を模索する。

詳しいルールは皆で話しあったりしながら

筋トレや勉強など、自分一人でできる事を確認してから集まって

忙しい皆の貴重な時間を無駄にすることなく、とにかく濃い時間、

プール一回が一つの作品になるような時間が過ごせればと考えています。

目指す空気(とそのために必要だと思うこと)

・一人でできないことをしにくる。一人じゃ行けなかった地点まで遊びに行ける。(一人でできることは全部やってくる)

・失敗に拍手。(それなりの準備と覚悟)

・各々できる限り自分を開く。また、その境界を自覚してしている。(他の人の秘密は守る)

・見えないものを扱うのだから、常に具体的であるよう心掛ける。そうすれば皆で共有できる。

(”具体”にはするには実はすごく時間がかかる。自分が“具体”にするまで、どれくらい時間や労力がかっているか知っておきたい)

・Good judgment comes from experience, and experience comes from poor judgment. 西洋の格言だそう。

 よい判断は経験から生まれる。経験は悪い判断から生まれる。

志はたかく。

2018年 林

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